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写真 1. EEPIS‐ITSのDr.Endra先生が旗を振るところを見る JICAインドネシア事務所の坂本所長 |
- お祭りを越えた、記念すべき行事
エクスポ2008
年の終わりになると、過ぎ去る年に何をしてきたか振返りますが、2008年はJICA(国際協力機構)にとって、特に意味のある年になりました。JICAは2008年10月、2国間の贈与を行う政府機関として世界最大になったのです。従来から実施してきた技術協力に加え、ODAローン、および無償資金協力を手掛けることになりました。さらに2008年はインドネシアと日本の外交関係樹立50周年にあたり、JICAインドネシア事務所にとっても特別な年でした。
JICA インドネシア事務所は、この二つの大きな出来事を一つにまとめて広報しました。日本の日本経済新聞と、インドネシアのコンパスによる「インドネシア-ジャパン・エクスポ2008(IJE2008)」に参加することで、半世紀にわたるJICAのインドネシアに対する協力を振り返るとともに、新たな展望を示したのです。期間は2008年11月1日から、11月9日まで。新しいJICAが発足してから丁度1ヶ月後にあたります。場所は、ジャカルタのクマヨランにある、Jakarta Fair Groundです。
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写真 2. 日本およびインドネシアの企業・公共機関 とともにJICAはイベントに参加 | 写真 3. インドネシア-ジャパン・エクスポの、 メインホールへの入り口 |
- 見るだけではなく、経験する場として
展示ブース
展示ブースに触れずに、エクスポを語ることはできません。JICAは、エクスポのメイン会場に、インドネシア、日本110に上る政府機関・企業とともに展示ブースを設置しました。360平米に及ぶ大規模展示ブースでは、資金協力、技術協力(スマンギ(Semanggi)立体交差(四つ葉のクローバとして有名)、ガンビール(Gambir)駅、インドネシア版交番など)の成果について縮尺模型を用いて展示しました。
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写真 4. JICAインドネシア事務所員が、 来場者の質問に熱心に対応 | 写真 5. 展示ブースは、見学と共に 体験できる |
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写真 6. 縮尺模型を見学中 |
あらゆる年齢、社会層の来場者が、MRTモデルの中でまるで実物のMRTに乗ったようにポーズを取り、写真に納っていました。おそらくMRTが清潔で信頼できる乗り物として世界的に知られており、インドネシアにとっては初めての地下鉄だからでしょう。MRTプロジェクトは日本のODAローンにより実施されます。また、エクスポ開会の日にはインドネシアのユドヨノ大統領と日本の福田前首相が、インドネシアの他のVIPの人々とともにこの「列車」に「乗車」していただくという光栄に浴しました。
MRT:「ジャカルタ大量高速輸送(Mass Rapid Transit = MRT)システム・プロジェクト」は、JICAのODA資金援助により実施され、インドネシアにおける最初の地下鉄建設です。建設計画では、南ジャカルタのLebak Bulusと中央ジャカルタのDukuh Atasを結ぶ、総延長14.5Km地下鉄で、インドネシアの首都、ジャカルタの交通システムのバックボーンをなすものと期待されています。計画では、一日に20万人から30万人の利用客を運びます。現段階で判明しているのは、プロジェクトの基本設計に対するエンジニアリング・サービス、MRT運営会社の設立、および入札支援としての資金協力額1,869百万円。MRTは、2010年代後半に完成予定。
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写真 7. JICAインドネシア事務所の坂本所長が JICA展示ブースでユドヨノ大統領に説明 | 写真 8. エクスポへの来場者が、日夜MRTに 詰めかけ乗車気分を満喫 |
JICA の展示ブースのもう一つの目玉は、婦人警官が展示ブースに立寄ることでした。来場者の中には、これを不思議に思った人もいたかもしれませんが、彼女たちは「本物」の警察官であり、メトロ・ブカシ警察署の「Mekar Sari交番」から来ていただいたのです。「Mekar Sari交番」は「民間警察活動促進プロジェクト」のまさしく現場です。交番を婦人警官のみで占めるというのは、インドネシア初の試みです。また今回JICAは、一時的ですが、同様な施設をエクスポ会場の広場中央に設置しました。婦人警官たちはそこに常駐し、エクスポの来場者の落し物、迷子、道案内などのサービスを提供。そして、JICAブースを立寄り場所として場内巡回しました。
「民間警察活動促進プロジェクト」は、インドネシア国家警察(POLRI)改革に対する日本の援助。2002年に、西ジャワ州、ブカシをモデル地区として開始されたもので、施設の設置(日本の交番の発想を用いた、BKPMと呼ばれる交番)のみならず、当地における犯罪や社会問題を解決するため、警察官の技術と知識の向上を図るものです。日本の援助によるPOLRIの改革は、前号の
「スリさんと安齋さん、警察組織の改革を目指す日本からの支援を支えた人達」の記事でも紹介しました。
- 勝ち負けだけではない、心のふれあいがある
ロボット・コンテスト
2008年は、JICAにとってもう一つ嬉しい意味のある年でした。ちょうど20年前に、工学教育に関する人材開発への協力が開始し、日本政府の無償援助によりスラバヤ電子工学高等専門学校(Electronics Engineering Polytechnic Institute of Surabaya = EEPIS-ITS)が開設されました。それ以来、日本の専門家が、アドバイザーやインストラクターとして赴任し、EEPISで教鞭をとってきました。そして、ロボット製作技術をインドネシアで最初にEEPISに導入し、EEPISをロボット・コンテストの殿堂にまで育て上げたのです。EEPISのロボット、「BIMA X-1」は、1991年に日本のNHK のロボット・コンテストに参加し、「Best Idea Team」賞に輝いています。それ以降EEPISの学生たちは、国内外の多くのロボット・コンテストに入賞してきています。一方、講師たちはいくつものコンテストを企画し、審判員として参加。最終的にEEPISをインドネシアにおけるロボット製作技術のトップ校にしたのです。EEPISに対する教育協力は、インドネシアだけでなく、世界の中で最も成功したJICA協力の一つとされています。
今回、JICAインドネシア事務所とEEPISは、「IJE ロボコン2008」と呼ぶ友好ロボット・コンテストを、エクスポ最終日に開催しました。インドネシアから10、日本から2チームがそれぞれの高等専門学校を代表してコンテストに参加。知的で、ユニークな性能とデザインのロボットを見せてくれました。各ロボットは、人形を指定された線まで持ち帰ること、できるだけ多くのローソクを消すこと、また他のロボットが得点することを妨げることなどをプログラミングされており、技とスピードが勝敗を決めます。
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写真 9. リハーサル中にチームメンバーに指示を与える 熊本電波高専チームのインストラクター |
コンテストのハイライトは、EEPISと熊本電波高専(KNCT)の準決勝でした。それは、言うならば、かつての生徒と先生との一騎打ちでしたが、EEPISが勝ちを納めました。KNCTチームは潔く敗北を認め、この試合の結果は過去におけるKNCTの教育が間違っていなかったことの証明であるとコメント。最終的にはEEPISがこのコンテストのタイトルも獲得しました。
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写真 10. ゲームのルールを説明する審判員 |
写真 11. 観客は朝から試合終了まで ホールを埋め尽くした |
参加チームは、激しく競い合っている間もこのイベントの土台が友情であることを忘れていません。最後の技術・意見交換会での場では、お互いに一つになり、それぞれの経験、技術を共有し、小さな贈り物を交換していました。この催しが将来、技術の世界のリーダーたちのネットワークに発展することを切に祈ります。
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写真 12. 上位3チームの代表者がトロフィーを 掲げて写真撮影 | 写真 13. インドネシア、および日本チームの 代表者が試合後、打ち解けた時間を持つ |
最後に、「インドネシア-ジャパン・エクスポ2008」の成功を受け、新しい年2009年が両国の協力にとってさらなる飛躍の年になることを切望して止みません。
(了)