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  • 飯村大使の西ジャワ州バンドン訪問
  •   6月17日(木)、飯村大使は西ジャワ州バンドン市を訪問しました。バンドンでは、午前中にヒメンドラ・パジャジャラン大学学長他を表敬訪問した他、日本政府経済協力のプロジェクト・サイトである地質博物館を視察し、ジャワ原人の頭蓋骨等を見学しました。午後には、バンドン日本人会の幹部らと懇談した後、ダアルト・タウヒード・プサントレン(イスラム寄宿塾)を訪問し、アブドゥラ・ギムナスティアル(通称:アア・ギム)と懇談しました。プサントレン内モスクでの説教も視察しました。



      飯村大使は、約五百人のプサントレンの出席者の前で、「日本とインドネシアは、貿易、経済面で重要な関係を有するのみならず、同じアジアの国家として、相互理解しやすい友好関係にあります。しかし、相違点としては、日本では仏教や神道、インドネシアではイスラム教という宗教的なものがありますが、日本でもお祈りをする前に手や口を清め、心を清める前に体を清めると言う考えは、イスラム教徒と同じです。もう一つの共通点としては、日本もインドネシアも、近代社会の中で、どのように人間として立派に生きていくか、苦しみながら答えを探し求めていると思いますが、アア・ギムさんの教えと姿は一つの回答を示していると思います。そういう意味でもアア・ギムさんと知り合えたことを嬉しく思います」と話しました。

      これに対して、アア・ギムより、「飯村大使は、ジャカルタのアル・アズハル・モスクでの私の説教に誘ったときも、バンドンにある私のプサントレンに誘ったときも、本当に来てくれた。このことは、『約束は守る』という我々が見習うべき良い例を示してくれた。今まで様々な国の大使と会ったが、飯村大使と本音で話せるのが嬉しい。宗教的な違いが問題なのではなく、違いはお互いの不足部分を補い合うものと認識すべきです」と話しました。

      その後二人は、プサントレン内モスク前で電気自転車に二人乗りするなどして親交を深めました。

     


  • 飯村豊大使、Purba Pakpak の苗字を贈呈される
  •   5月29日(土)、飯村大使は、北スマトラ州シマルグン県において、"Purba Pakpak"(プルバパッパッ)一族就任式に出席し、Purba Pakpak の苗字を贈呈されました。この就任式は、同族であるサラギ農業大臣が仲介し、大臣の母親の一族である Purba Pakpak 族から招待されました。これにより、飯村大使は、一族としてみなされ、今後、Yutaka Iimura Purba Pakpak と名乗ることができることになります。Purba Pakpak とは、シマルグン・バタックの一つで、16世紀初めから20世紀半ばまで、Purba 王国を支配していた一族です。

      就任式典は、17世紀に建てられた一族の王宮 "Rumah Bolon" で行われ、ブンガラン・サラギ農業大臣他、Purba Pakpak一族、周辺のシマルグンバタック族や州政府代表者など約200人が集まりました。まず、長老より、飯村大使に同族となることの意思確認がなされた後、一族側にも飯村大使の一族の仲間入りに同意するかどうかの確認が行われました。その後、大使に民族衣装の Gotong (頭巾)、Ulossurisuri (肩掛け)、Rigicantik(腰巻き)の他、剣が贈呈された後、共に民族舞踊である Bintangnarondang を踊りました。


    飯村大使とサラギ大臣

      飯村大使は、「私が、日本大使としてインドネシアに着任して以来、1年9ヶ月を過ぎました。その間、私は、ただ単にインドネシアの政治や経済を理解するだけでなく、この国の多様な社会や文化を理解しようと心がけて来ました。そのような私にとって、本日、この "Purba Pakpak" の苗字を頂いたことは、単に日本政府の代表としてではなく、1人の個人としてインドネシアの人々に受け入れらた証であり、非常に嬉しく、また名誉なことであります。」と感謝のスピーチを行いました。



  • 飯村豊大使、インドネシア貿易研修センターを視察
  •   5月19日、飯村豊大使は、日本からの経済協力により設立されたインドネシア貿易研修センター(IETC:Indonesia Export Training Center, PPEI:Pusat Pelatihan Ekspor Indonesia)を視察しました。

      貿易研修センターは、1988年以来日本がインドネシア商工省輸出振興庁に対し、無償資金協力、技術協力プロジェクトとして協力してきたものです。西ジャカルタ・グロゴールに所在する研修センターでは、現在、貿易研修の他、輸出検査等が実施されています。また、日本政府としては、2001年から2005年までの計画で、このセンターの成果を地方に普及するため、スラバヤ、メダン、マカッサル、バンジャルマシンの4ヶ所で地方センターの設立を支援しています。