- 放送網拡充 (1973)
- 放送網拡充 (1974)
- 放送網拡充(テレビ) (1974)
- 放送網拡充(ラジオ) (1974)
- 放送網拡充 (1974)
- 放送網拡充 (1975)
- テレビ網改善 (1975 )
- ラジオ・テレビ放送網拡充 (1985)
- ラジオ・テレビ放送網拡充(第2期) (1987)
- ラジオ・テレビ放送網改善事業計画 (1990)
- ラジオ・テレビ放送施設改善事業(第2期) (1993)
- ラジオ・テレビ放送施設改善事業(III) (1995)
実施期間:
    有償資金協力(円借款)プロジェクト(1973年12月-1995年12月(契約時)にわたり実施)
実施場所:
    ジャカルタ首都特別州を始めインドネシア全島・全土
供与金額:
    総額 370,28億円(出典:国際協力銀行ホームページ)
目的:
インドネシは多くの島嶼からなる広大な国土を持ち、多民族により言語、文化、宗教も異なる中で、国家としての統一、国の発展原動力となる人的資源開発のための教育の普及、中でもインドネシア語の普及や国家理念の浸透、人口抑制のための家族計画の啓蒙などを視野に放送の全土への普及を行うもの。
案件概要:
インドネシアの放送の歴史はオランダ植民地時代の1925年にラジオ放送が始まった事に遡る。日本のNHKのラジオ放送が始まったのも同じ時期に始まっている。インドネシア共和国になってから1945年9月に国営ラジオ放送局(RRI)が設立され、当初はジャワ島とスマトラ島の主要な8都市で発足したが1960年代の終わりには全国49都市で短波放送が運用するまでに拡充された。しかし、当時はジャカルタ以外の地方放送局は小電力で1950年代に導入された機材が老朽化して充分に機能せず、放送局の周辺だけでしか受信できない状況であった。
一方テレビ放送は1962年にジャカルタで開催された第4回アジア大会を放送するために同年8月に国営テレビ放送局(TVRI)が設立されたが、本格的な放送開始は1963年1月である。その後1965年にジョグジャカルタにテレビスタジオが建設され、ジャカルタージョグジャカルタースラバヤ間に番組伝送のためのマイクロ回線が建設されて、1960年代の終わりにはジャワ島内の8局の送信所から放送できるようになった。
この時期インドネシアも政治的にも経済的にも安定期に入り、1969年を初年度とする国家開発5ヵ年計画がスタートすることになる。
インドネシア政府は島嶼が多い広大な国土の隅々にまでインドネシア語の普及、教育の普及による人的資源の開発等を行う事を含めた国家開発計画「第1次5ヵ年計画」を策定し、1970年12月の IGGI(インドネシア援助国会議)に放送網拡充計画を提出した。この計画の実現のために日本政府は経済協力の一環として円借款を供与し、全国にラジオ・テレビ放送網を拡充していった。1970年代はインドネシアにとっては石油収入が好調でもあり、インドネシア政府は日本の他にアメリカ、フランス、西ドイツ、イギリス、オランダなどの諸国からバイヤーズクレジットによりRRI及びTVRIの放送網の整備を行った。
その後、ラジオ放送では短波放送から中波放送及びFM放送の普及更に地方における放送局の設置、また、テレビ放送ではモノクロ放送からカラー放送への移行及び地方局へのスタジオ建設を行うことにより地方独自の放送を行えるようにする等、数次にわたる開発5ヵ年計画に伴って、放送分野の改善・拡充が行われた。日本政府も円借款の供与による経済協力により放送分野の支援を行った。
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日本の援助で導入した中波ラジオ送信機(RRI Medan)   |
FMラジオ送信機(RRI Medan) |
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日本の援助で導入したスタジオカメラ(TVRI Medan) | 日本の援助で導入したスタジオ機器(TVRI Manado) |