各分野での日本のインドネシアに対する経済協力の紹介
情報通信分野

日本のインドネシアに対する放送分野の支援~国家統合と民主主義に貢献

ラジオとテレビ放送の発達は、世界最大の島嶼国であり、多数の民族から成るインドネシア共和国の国家統合と民主主義のために重要な役割を果たしてきました。このことは、1945年8月の独立直後にインドネシア公共ラジオ放送(Radio Republik Indonesia:RRI)が設立され、放送を開始したこと、また、1962年8月17日のインドネシア公共テレビ放送(Televisi Republik Indonesia:TVRI)による第17回独立記念日祝典の中継放送がインドネシアにおける初めてのテレビ放送であったことが象徴しています。

インドネシアにおけるラジオ、テレビ放送の発達の過程では、日本の経済協力が大きな貢献をしました。

まず、ラジオ放送に関して、日本は、もともと第二次世界大戦中からNHKの前身である(社)日本放送協会が若手技術者や放送番組制作者を派遣して支援を行っていましたが、1976年以降、中波ラジオ局の設置及び老朽設備の更新、さらにはFMラジオ局の設置を数次に亘って支援しました。同時に技術者の養成も支援してきました。今や、全国58の放送局を持ち、全人口の90%を超える人々がラジオでニュースや娯楽放送を聴くことができるようになっています。

次にテレビ放送に関して、日本は、テレビ放送網の拡充のためにインドネシア全土で多数のテレビ放送局の設置(スタジオ設備整備、送信所の建設)を支援しました。また、日本はJICAを通じて1963年以降2006年までの間、一時中断した時期はあるものの、番組制作、放送管理、技術管理などの支援を実施しています。今日、テレビ放送は、国土面積の64%、総人口比で82%をカバーするまでに至り、インドネシア国民の多くがテレビを通じてニュースや娯楽番組を楽しめるようになっています。


TVRIジャカルタ中央放送局

TVRIマカッサル放送局スタジオ機器
(日本の援助)

RRIメダン放送局中波送信アンテナ
(日本の援助)

RRIジャカルタ中央放送局

さらに、日本政府はラジオ・テレビの放送ネットワークだけでなく、これらの放送局で働く人材を育成するために、マルチメディア訓練センター(MMTC:ジョグジャカルタ)の設置、運営の協力を行っています。MMTCでは、将来放送局で働きたい人たちに対して4年間の教育訓練を行っている他、実際に放送局で働いている人たちに対する短期の実践的な訓練なども行っています。MMTCは実際の放送局で使用する機材を設置して、放送番組制作の基礎、放送技術の基礎から応用まで幅広い研修訓練が行えるインドネシアで唯一の訓練施設で、インドネシアでの放送分野の人材育成の中核的役割を担っています。MMTCは、これまでに2,700名を超える卒業生を送り出しており、彼らはインドネシア国内の公共テレビ・ラジオ放送及び民間テレビ・ラジオ放送分野において活躍しています。

また、これまでの日本が行ってきたMMTCに対する協力と技術移転の成果を活用して、アジア太平洋近隣諸国の放送関係者を対象とした「テレビ番組制作に係る国際研修」も実施しています。これは、近隣諸国からテレビ放送関係者の参加を募り、参加者をグループ分けして、毎回決めたテーマに沿ったテレビ放送番組を制作するというもので、短期間ではありますが番組の企画、台本制作、収録、編集等一連のテレビ番組制作のプロセスを経験できるものです。

このような、活動を通じてMMTCはインドネシアのみでなく、アジア太平洋地域においても重要な放送分野の訓練施設となっています。


マルチメディア訓練センター(MMTC)外観
 

スタジオでの番組制作実習

ニュース番組制作実習

「MMTCでの訓練からメトロTVへ」
アニサ ウィダヤティ(Annisa Widayati)さん
(愛称:イチャ サストロウィロゴ(Icha Sastrowilogo))
メトロTVリポーター

MMTCで学ぶことができて、私の放送の世界への道がぐんと広がった。MMTCでわたしの能力は一層磨かれたと感じている。

MMTCの研究施設であるメディア・トップ・FMでの経験は、私のMMTC時代で一番印象に残っている。初めてこのラジオ局に入ったのは2001年で、ラジオのパーソナリティになるにはどうしたらいいか、について学んだ。始めのうちはMMTCの近辺に向けての放送だったが、多くの近隣住民から高い評価を受けた。そして数ヶ月後、ウティック(Utiek)校長(当時)がもっと性能のよいメディア・トップ・ラジオ塔を建設し、放送対象地域が数キロメートルにまで及んだ。私は数人の友人達と、給料こそないけれど、まるでプロのようにラジオのパーソナリティを勤めた。ラジオのパーソナリティを勤め、プログラムを創り、チームで仕事をすることを通じて、組織の中で仕事をすることを身に着けた。そして将来の職業を選択するうえでも、自信がついた。

MMTCは、テレビやラジオで働く感動を教えるばかりでなく、さらに掘り下げてプロのジャーナリストについても教えてくれた。MMTCを卒業イコール、テレビ・ラジオのパーソナリティになると多くの人が勘違いをしているけれど、そうでなければならないことはなく、放送の世界には他にも多くの職業が私たちに開かれている。私の場合はたまたま、小さい頃から人前に出ることが好きだった。報道・マネージメントの授業で教えられたことは、いかにして一つのニュース番組または他の種の番組を作るかだったが、ジャーナリストになるためについて学んでいる間に、私の能力は磨かれたと感じている。ましてや、インドネシアで最初のニュース・テレビ局であるメトロTVで働く今、ここでの仕事はモニターの表と裏での仕事をこなすことが要求される。ジャーナリストになることは誇らしいことで、インドネシアのような開発途上国にとって民主化や教育は情報に左右される。またテレビは、視聴者の要望に注目しなければならない設備である。

MMTCの発足とMMTCが放送分野について多くを学べる教育機関へと発展してきた過程には、日本のODAによる支援があった。現在そして将来のMMTCの学生は、そのことへの感謝を忘れずに、この施設を活用し知識を身に付け、それを糧に放送の世界で国民と国家の発展に役立つ仕事を得ていって欲しい。

日本のインドネシアに対する通信分野の支援~国家開発と経済発展に貢献

電気通信(電話)網の整備は、世界最大の島嶼国であり、多数の民族から成るインドネシア共和国の国家開発(地域開発)と経済発展のために重要な役割を果たしてきました。

インドネシアにおいてはPERMUTEL(電話公社)により、政府が長年独占的に国内電話事業を行ってきていましたが、広大な国土と電話公社の事業実施能力の限界もありそのペースは遅く、1988年当時でも人口100人当たりの電話普及台数が0.47とASEANの中でも最低でした。1989年以降は外国企業を含む民間企業の資金力、技術力も活用して電話網整備を拡充することになりました。1991年に公社が民営化されPT.TELKOM(テレコム)が発足し、時代の流れ、技術開発、利用者のニーズに応じて電気通信サービスも多様化し、未だ都市と地方都市の格差はあるものの、全土において固定電話のみではなく、携帯電話、インターネット等様々な電気通信が提供されるようになりました。

2005年の統計では人口100人当たりの電話普及台数が5.7に達し、携帯電話普及率も21.1となり、この間のインドネシア経済の発展に大きな貢献をしており、いまや電気通信は国民生活、社会経済活動には無くてはならないものとなりました。

日本は政府独占当時から、地方都市周辺、過疎地及びジャカルタにおける電話網を拡充するための整備支援を行うと共に、インドネシア政府が進める電話網整備拡充計画の計画的、効率的な実施が行えるように工事基準、線路建設の標準化、工事監督の育成、設備保守を行う保守センターの整備、人材育成等を行うことにより電気通信の発展に協力を行ってきており、これまでインドネシアの通信ネットワーク総延長の約50%は日本の支援により建設されています。


西ジャワ州バンドンのテレコム本社

電話交換機の点検を行うテレコム職員

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