大使館案内在インドネシア日本国大使● 大使の寄稿文・活動・月間雑記 連絡先地図開館時間と休館日国内総領事館管轄地域 |
インドネシア自動車産業の未来(ビスニス・インドネシア、9月24日)![]() 日系自動車メーカーがインドネシアで自動車の生産を始めたのは1970年代のことである。皆様は「国民車」として親しまれたトヨタの初代キジャンを覚えているだろうか。写真を見ると、コストを抑えるため、曲線のない箱型の車両で、ドアガラスはビニールになっている。当時の人々のニーズを十分に踏まえて、安くて良質の製品を生産するために工夫を重ねた結果であるとお聞きした。今や「乗合バス」という意味でインドネシア語になっている三菱の商用車「コルト」も1970年代にインドネシア国内で組立が開始された。当時のインドネシアにはテストコースも無く、三菱は独立記念塔広場で最初のブレーキテストを実施したという。 それから約50年、日系自動車メーカーは、インドネシア企業と合弁企業を設立して、生産を拡大してきた。コロナ前の2019年には、生産台数は125万台、輸出台数は33万台に達している。自動車の生産には、技能を身に着けた人材が必要になるが、日系自動車メーカーは人材育成にも力を入れてきた。裾野産業の育成を進め、現地パートナーとともに販売事業を展開し、ディーラーとの提携にも取り組んできた。その結果、今では126万人もの人々が日系自動車メーカーに関連した産業で働いており、東南アジアにおいてインドネシアはタイに並ぶ自動車の生産・輸出拠点となっている。オーストラリア他と経済連携協定(CEPA)を締結し、輸出を更に促進していこうとするインドネシア政府の方針とも歩調を合わせている。 今日、自動車産業はCASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)と呼ばれる変革期にあり、インドネシアも例外ではない。その一つの眼目であるEV化を実現するためには、需要面、供給面双方を睨んだ大きな絵柄を描いていくことが求められる。EVにはバッテリー、モーター、インバーターの部品が必要になるが、その生産のためには、市場を創り、需要を大きくして、規模の経済を働かせていく必要がある。これらの部品はバッテリーEV、ハイブリッド、プラグインハイブリッド、水素自動車に共通して使用されるが、EV市場の拡大のためには、消費者が自らのニーズにあった様々なタイプの技術の車を選択できることが重要だと思う。カーボンニュートラルに向けて、EV以外にもバイオ燃料の活用といった選択肢もあるだろう。気をつけなければならないのは、ガソリンエンジンが使われなくなると、エンジンの部品を製造しているサプライヤーの仕事が失われていくということだ。このようなサプライヤーを含め雇用を確保することも同時に考えていく必要がある。 日系自動車メーカーは真剣にインドネシアの自動車産業の未来に向き合おうとしている。工業省が設定した目標に呼応する形で、ジャカルタジャパンクラブ(JJC)は、日系自動車メーカーが2030年において自動車を約290万台生産し、約200万台販売し、約88万台輸出するという試算をしている。日本はパティンバン港の建設・運営に協力し、年内にはここから自動車の輸出が始まる。ブカシ自動車認証試験場の設計・建設にも貢献し、研究開発や輸出に更に取り組んでいこうとしている。さらに、EVについても、実証事業などを通じて市場拡大を進めて、インドネシアでの生産を目指している。 インドネシアの人々は未来の自動車に何を望むだろうか。大切なことは、日系自動車メーカーは、これまでと同様、インドネシアの自動車産業の未来をインドネシアの人々と共に創っていきたいと考えているということだ。投資、雇用、輸出、人材育成、電動化など、様々な課題があるのは事実だが、過去そうであったように、これからも、日系自動車メーカーとインドネシアの人々との間の対話の中から解決策を見出すことが出来ると信じている。インドネシアの自動車産業の未来を創るために、私も共に進んでいきたい。 金杉憲治 駐インドネシア大使 >>>その他の寄稿文・挨拶 |