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日・インドネシア関係を再考する(コンパスオンライン、5月10日)![]() しかし、日本とインドネシアとの間には長年にわたる協力の歴史があり、両国関係には無限の可能性がある。この機会に、協力の歴史を明確にしつつ、将来の潜在性を見てみよう。 日本は1958年の国交樹立以降、官民を挙げてインドネシアの経済発展に大きな役割を果たしてきた。日本の協力を先ずは数字で見てみよう。 日本はこれまで累積で500億ドルを超える公的な支援を行ってきた。日本はインドネシアにとって最大の二国間援助国であり、また、日本にとってインドネシアは最大のODA受入れ国である。こうした協力は、発電や交通網の整備、農業生産性の向上といった分野でインドネシア経済の発展を下支えしてきた。例えば、インドネシアにおける全発電容量の16%は日本のODAによる発電設備又は日本企業による独立系発電事業(IPP)によって発電されている。また、日本製の中古車輌(KCIに約1500両)を提供するとともに、今はインドネシア初の地下鉄であるMRTの整備を進めており、2019年のフェーズ1の開業以来既にジャカルタの景観と市民生活が大きく変わりつつある。農業分野では、日本の支援により灌漑面積が37万ヘクタール(ジャカルタ首都特別州の面積の約6倍)拡大したが、その中には、「ブランタスの奇跡」と呼ばれ、今や国内随一の穀倉地帯として知られる、ジャワ島東部を流れるブランタス川の流域開発も含まれている。林業及び水産業の分野においても、持続可能な生産技術の普及のための協力を行ってきた。例えば、1980年代から技術開発を支援した産業植林は、今や全国の木材生産の6割以上を占めるまで拡大した。 また、現在約1,500隻の漁船が登録される世界最大規模のジャカルタ漁港の建設や、魚貝類、エビ及び淡水魚の養殖技術の開発普及を40年以上にわたり支援してきた。 日本はインドネシアの持続可能な開発にも貢献してきている。1994年に日本が導入を支援した母子手帳は、今は全国の80%以上にまで拡大しており、妊産婦死亡率(出生児10万人あたり)は、1990年の430人から2015年には126人まで減少した。そして、今や、インドネシアは母子手帳の普及に向けて、アフガニスタン、タジキスタン、東ティモール等の第三国との間で南南協力を進めており、日本はその南南協力をサポートしている。環境面でも、例えば、1990年代から20年以上にわたり、森林や泥炭湿地、マングローブ等の保全・再生技術の確立及び普及のための支援を継続的に実施してきた。また、インドネシアと日本は共に多くの自然災害に見舞われているが、過去のインドネシアにおける大規模自然災害には常にタイムリーに協力してきており、国際緊急援助隊を過去14回派遣。災害対応だけでなく平時からの災害対策が重要であり、“Build Back Better”の理念の下、これまで150以上の防災事業に協力してきている。「Sabo」という日本語がそのままインドネシアでも使われているのには、日本の防災協力がインドネシアの役に立っていることを実感しうれしく思う。 もちろん、日系の民間企業による投資も、インドネシアの発展に大きく貢献してきた。約2,000社の日系企業がこの国で活躍しており、約720万人の雇用を生み出し、GDPの8.5%に貢献し、輸出の24%は日系企業による産品となっている。おかげさまで、インドネシア国内市場でも、日系企業がインドネシアで生産した製品がインドネシアの消費者の方々から支持されている。現在、インドネシアを走る自動車、二輪車の9割以上は日本車となっている。時代を遡ると、1960年後半のスハルト政権での外資法の施行以降、トヨタは当地に駐在事務所及び工場を立ち上げ、いち早く生産を始めてきた。特に同社のキジャンは半世紀にわたりインドネシア人に親しまれてきた国民車といえる。車やオートバイの他にも、多くの日系メーカーはインドネシアの生活に根付いた商品開発や販売を行ってきた。ハラル認証を取得した冷蔵庫や、ヒジャブ専用洗濯機、バティック専用の洗剤等多岐に渡る。食文化についても同様で、多くの日系食品メーカーはハラル認証を取得したうえで、当地で生産及び販売を行っている。また、モールには多くの日本食レストランが軒を連ねており、インドネシア人にとっても日本食文化が身近になっていると感じている。ここまで来られたのは、一言では言えない、日本の「ものづくり」精神や文化を根付かせてきた日系企業及びそこで就業するインドネシア人従業員の努力の結果であろう。 これがこれまでの、日本とインドネシアとの経済面での協力の成果である。自分はここで、「これまでの」というフレーズを強調しておきたい。今、重要なのは、こうした協力関係を当然視することなく、新しい協力の地平線を開いていくことである。インドネシアはオムニバス法を成立させることで、投資環境の整備を進めて、更なる経済発展の可能性を模索している。日本はこれに応えていくことが出来る。そこでは、引き続きインドネシアにおけるインフラ整備は大きな課題である。先ほど言及したMRT、そして昨年12月にソフトオープンし、自動車を含めた輸出の新たな拠点になるパティンバン港の整備に日本はコミットしている。気候変動を含めた環境面での協力も大きな課題である。そこでは、例えば、電気自動車の普及や水素技術もますます重要になってくるが、日本はそこでも協力してきている。防災やヘルスケアといった分野も含めて、両国の協力関係は更に裾野が広がって行くであろう。 政治・安全保障についても一言だけ。インドネシアは、ASEANの中で日本が閣僚レベルで外務防衛閣僚会議を持っている唯一の国であり、3月末にはルトノ外相とプラボゥオ国防相が訪日して、第二回目の会合を開催。防衛装備品協定に署名し、新たな協力の可能性を模索している。また、地域の大きな課題であるミヤンマー情勢について、日本は一貫してインドネシアの努力を応援し、共に平和的な問題解決に向けて努力してきている。この3か月の間でも、ルトノ外相と茂木外相は対面で1回、電話で3回も、ミャンマー問題を中心に意見交換している。これからインド太平洋地域は間違いなく世界の中心となる。日本がFOIPを唱え、インドネシアがASEANを主導してAOPIを策定したのは、両国がこの地域で法の支配に基づく平和で豊かな地域を一緒に作り上げようということの証左である。 二国間の将来が明るいことは、若者世代を見れば明らかである。インドネシアにおける日本語学習者は70万人を超え、世界で2番目の数であるとともに、インドネシアは、日本では6番目に留学生が多い国であり、国費留学生に限れば世界で最も多い国となっている。日本での留学、食事、観光等を発信するインドネシア人も増えており、中には登録者数が600万人を超える者もいる。私も、参考にしながら、日々、インスタグラムの投稿を行っている。 日本とインドネシアは、以上に述べた経済分野、そして政治・安全保障の分野も含めた、不可欠な「戦略的パートナー」である。2022年にインドネシアがG20の議長国、そして2023年にはASEANの議長国として、日本とASEANとの関係が50周年を迎える中で、そうしたパートナーシップを更に発展させていくことを楽しみにしている。 金杉憲治 駐インドネシア大使 >>>その他の寄稿文・挨拶 |