大使館案内在インドネシア日本国大使● 大使の寄稿文・活動・月間雑記 連絡先地図開館時間と休館日国内総領事館管轄地域 |
インドネシア国家警察に宿る「サムライ」スピリッツ(メディアインドネシア、1月21日)![]() 2000年に国軍から分離したインドネシアの警察は,同年,より市民に身近な組織になろうと日本警察に支援を要請した。 これを受け,日本政府は,JICAとの協力の下,2001年から日本警察の幹部を「国家警察長官アドバイザー」としてインドネシアに派遣し続けるなど,20年以上にわたってインドネシア国家警察を支援してきている。 日本警察が特に力点を置いて支援してきた施策が,市民のための警察活動の促進である。バビンカムティブマスを始めとした警察官が地域社会としっかり向き合って住民を支援するこの活動は,いつしか「POLMAS」(Pemolisian Masyarakat)と呼ばれるようになった。 日本による支援の最初の10年は,ブカシの警察署をこの国の市民警察活動の「モデル警察署」とすべく,同署に対して重点的になされた。 そして,2012年以降は,新たなフェーズとして,ブカシに根付いた市民警察活動をインドネシア全土に展開する支援をしてきている。 当初,ブカシがモデル地区として選ばれた理由は,ジャカルタ郊外に位置する同エリアが都市と農村の双方の地域性を持ち,住宅街,田園,工業地帯など多様な町並みを有していることから,同所で培われた市民警察活動のノウハウがその後インドネシア全土に展開しやすいと考えられたためである。先人たちの先見の明には驚かされる。 昨年10月,私は,ブカシ市警察署を訪問した。日本から導入されたKOBAN(Pol sub sektor)を見て懐かしさを感じるとともに,日本の警察官とインドネシアの警察官とが一緒になってインドネシア国民の安全・安心のために汗かく姿を拝見し,両国警察間の強い繋がりを実感した。 日本は,また,この20年,ブカシ警察を拠点に,科学的な犯罪捜査に不可欠な鑑識技術の導入・向上の支援もしてきた。私自身,ブカシ市警察署を訪問した際,インドネシア警察による高い鑑識技術も拝見した。 昨年3月にマカッサルで発生したテロ事件を始め,様々な事件において,この鑑識技術が被害者の特定など事件解決に貢献したと聞いている。 今年,インドネシアはG20の議長国となるが,サミットを含む多くの会議が開催されるバリにおいても,日本は,2003年から10年弱,安全なまちづくりの支援をしてきた。 日本からのこうした協力は,インドネシアの関係者に広く認知されており,昨年5月にティト内務大臣を表敬訪問したときや,地方への公式訪問に際して警察本部を訪れたときに,むしろ先方から日本の警察協力に対する謝意が表明された経緯もある。 このように日本警察は長期にわたってインドネシア警察を支援してきているわけだが,読者の皆様は,これと「サムライ」とがどのように関係するのか疑問に思っていることだろう。 実は,日本において警察の役割は,近代化以前まで侍が担ってきたと言える。 19世紀後半に始まる日本の近代化と共に,侍が近代日本警察を作り上げたのだ。今でも日本の警察官は,柔道や剣道などの武道の稽古を通じ,自らを厳しく律する訓練を日夜行っている。日本警察の根幹には,他者を敬い,また,自己犠牲をいとわず国民に奉仕する武士道があるのである。 この20年,日本は,インドネシア国家警察の多くの職員を日本に招聘し,日本警察での実地研修の機会を提供してきた。 日本で研修を受けたインドネシアの警察官は,日本の警察官による武道の稽古も視察し,日本警察にやどる「サムライ」スピリッツを感じたはずだ。彼らはその後、研修で得た経験を元に、インドネシアにおける市民警察活動であるPOLMASを展開する上で中心的役割を担うなど、国家警察内で多方面に活躍してきたと聞く。 日本では子供の将来なりたい職業の上位に警察が位置づけられることが多い。日本警察が日本の市民から信頼されている証であろう。 警察への信頼と期待の高さゆえに、日本でも警察に対する厳しい意見が投げかけられることがある。しかし,その都度,市民からの批判や要望に向き合い,信頼回復のために地道な努力を積み重ねてきたことが、日本社会で警察が尊敬され、頼りにされる存在であり続けてきた理由である。 インドネシアにおいても,国民の警察に対する信頼度や満足度は年々向上していると聞く。もちろん,これはインドネシア警察の関係者一人一人のたゆまぬ努力の結果であろうが,日本による支援が少しでもこれに貢献しているとすればこの上ない喜びである。 日本警察にとって,インドネシアほど長く深く支援し続けてきた国はない。 これだけ長く支援してきたのも,本プロジェクトに携わって来た日本の関係者達がインドネシアを愛して止まなかったからだろう。事実,多くの日本からの専門家が,1度のみならず複数回インドネシアに赴任している。2001年に初代国家警察長官アドバイザーとして赴任した山崎裕人氏は,1980年代の在インドネシア日本国大使館勤務を含めれば当地での勤務は計3回10年以上となり,インドネシアが第二の故郷となっている。 市民警察活動をインドネシア全土に展開する道筋が確立されてきたことから,20年続いてきた日本のインドネシア警察支援も今年一つの節目を迎える。しかし,この国の警察がより一層市民から信頼され,引き続き警察と市民とが一緒になってこの国の安全・安心を維持していけるようになるため,そして,両国警察間の強固な友情関係を更に発展させるため,日本としては今後とも必要な支援をインドネシア警察に提供していきたいと考えている。 私はこの国の子供たちの屈託のない笑顔が大好きだ。「サムライ」スピリッツがやどるこの国の警察官が,子供たちにとって憧れの存在となることを願って止まない。 金杉憲治 駐インドネシア大使 >>>その他の寄稿文・挨拶 |