
とある朝、マナド市内からビトゥン港へ向かう道中、高速道路の左手に大きく聳えるクラバット山を見た。スラウェシ島で最も高いこの山は当地の邦人からマナド富士の愛称で親しまれている。中腹に漂う高積雲を悠然と見下ろす頂とビトゥン港まで続く辺りの自然はどことなく日本を思い出させる光景だ。
日本とスラウェシの関係は深く、また、その歴史は長い。1830年、「鎖国」中の日本が唯一対外貿易をしていた長崎・出島を描いた江戸時代の画家、川原慶賀による作品にも、スラウェシ島出身の人が描かれている。外向的な気質に加えて、従来から水産業、農業、観光による交流が深いからか、スラウェシ島には日本語を話す人も多い。同島を代表するサム・ラトゥランギ大学では100人以上、そしてハサヌディン大学では教員の1割(196人)が元日本留学生であり、先日の公式訪問でお会いした際も堪能な日本語を話す姿に感銘を受けた。一方で、日本に滞在するスラウェシ出身者も多く、茨城県大洗町に住むインドネシア人1,000人のうち、約800人はマナド出身という。3月初旬に就航したマナドー成田便が日本とスラウェシとの間の人の交流をますます盛んにさせることを期待する。
日スラウェシ間における協力関係には歴史と潜在性がある。2018年にM7.5の地震により中部スラウェシ州都パル及び周辺が甚大な被害を受けた際には、日本政府は国際緊急援助隊として自衛隊を派遣するなど、復旧・復興の初期段階から支援を実施。現在も、復興支援の一環としてパル第4橋再建事業や道路整備、土砂災害対策などが進められている。ハサヌディン大学では日本の円借款による工学部整備事業が10年以上かけて行われ、先日はその綺麗なキャンパスで、教授や学生による様々な研究の成果を拝見した。一方で、ビトゥンやゴロンタロの水産品が日本へ輸出され、彼の地での真珠養殖も在留邦人が盛りあげている。トラジャのコーヒー栽培には日系企業が40年に渡って携わっており、日本でも有名ブランドとして人気を誇っている。日本との協力で行われているラヘンドン地熱発電所を利用した再生可能エネルギーからの水素製造(グリーン水素)は、インドネシアのエネルギー移行を牽引する最先端の取組みだ。
先日、北スラウェシ州副知事とお会いした際、記念にタルシウスの像をいただいた。ウォレス線に沿って分布する、インドネシアにおいても希少な猿だが、副知事曰く、世界最小の霊長類として知られるだけでなく、1匹の伴侶と生涯添い遂げることも特徴という。公式訪問中にお会いしたスラウェシの方々の仕事に対する実直さに通ずるものがあると感じた。
今後、日スラウェシ間において、経済、文化、教育など幅広い分野でどんな相乗効果が生まれていくか。スラウェシ島を象る「K」が、ますます日スラウェシ間にとっての「Kerja Sama(協力)」と「Kibou(Harapan)」の象徴となることを願う。
金杉憲治
駐インドネシア大使