>本文へ | Bhs Indonesia

在インドネシア日本国大使館
Embassy of Japan in Indonesia



トップページ | 大 使 館 案 内 | 二 国 間 関 係 | 経済協力(ODA) | 日イEPA(経済連携協定) | 日本企業サポート
重要外交課題 | 広 報 文 化 | 領事関連情報 | インドネシア国内総領事館 | リ ン ク

大使館・総領事館案内


在インドネシア日本国大使

石井大使コーナー

連絡先


地図


開館時間と休館日


国内総領事館管轄地域



EKB62(その3);長い友情


2017年6月19日



自衛隊記念日


    去る5月18日、午前中にジョコウィ大統領に信任状を捧呈して大使としての正式な活動を開始したちょうどその日の夕刻、恒例となっている自衛隊記念日を祝うレセプションを開催しました。400人近いお客様においで頂き、盛会でした。

    そこでは、昨年に引き続き、インドネシア国軍の軍楽隊のご協力を得て、両国の国歌だけでなく、ドラえもんの主題歌などを演奏して頂き、大いに盛り上がりました。来年は、日インドネシア友好60周年の節目の年ですので、個人的には、自衛隊艦艇や、自衛隊音楽隊のインドネシア訪問を実現できれば素晴らしいことだと思っています。

    その際のスピーチでも申し上げたのですが、近年、日本とインドネシアの間では、安全保障面での協力も進んでいます。そもそも同じ海洋国家で、海洋航行の自由と安全などの目標を共有している事から考えて、これは自然な流れだと思います。インドネシアは、東南アジア諸国の中で、日本が2+2会合(両国の外務大臣と防衛大臣が一堂に会した協議の場)を持っている唯一の国です。第一回会合は、2015年12月に東京で開催されました。今、両国の間では、第二回会合を今年中にもインドネシアで開催することを目指して、調整が進んでいます。

同窓会?


    自衛隊とインドネシア国軍との交流も積み重ねられています。レセプションには、日本の防衛大学校に留学したインドネシア国軍メンバーの人たちも少なからず参加しておられました。インドネシア国軍から防衛大学への留学は、1992年に始まり、今までに、56人の留学者がおられます。

    皆さん、日本で良い経験をして帰られたようです。その場で皆さんから挨拶頂いた時の日本語がすばらしいこと!とても驚きましたし、インドネシア国軍の中でも、日本留学経験者の横の連携があることを見て、うれしくも思いました。皆さんが日本酒で乾杯しながら、あたかも同窓会のように盛り上がっておられる姿は、非常に微笑ましく映りました。
    ちなみに、つい先日は、逆に、日本の自衛隊統合幕僚学校副校長と同校就学中のメンバー全30名がインドネシアを訪問され、地方部隊の訪問などを含む約1週間の日程をこなされました。

    交流は、このように双方向であれば、より長続きすると思います。両国の軍の間の交流が今後も続くように、大使館としても、是非サポートしていきたいと思います。

スディルマン大将軍と日本


    話は変わりますが、ジャカルタの最中央部を縦断する最も主要な道路の一つに、「スディルマン将軍通り」があります。この名前はインドネシア独立戦争でインドネシア軍を最高司令官として率いたスディルマン将軍の名前から取ったものです。同将軍の名前を知らない人はインドネシア人の中には居ない程の英雄で、当国では広く尊敬され続けている人物です。

    スディルマン将軍通りのジャカルタ市内鉄道スディルマン駅近くには、同将軍の大きな像が立っています。彼の像はあちこちで見かけるのですが、先日、国防省でリャミザルド国防大臣を表敬訪問した際にも、記帳台の正面に小さめの像がありました。実は、この像は、数ある同将軍の像の中でも、日本風の軍服を着ている3つしかない像の一つで、そのうち一つは、ボゴールのPETA(郷土防衛義勇軍)博物館にあります。

    それでは、もう一つの像はどこにあるのかというと、それは、東京市ヶ谷の日本の防衛省の敷地内にあるのです。これは、2011年1月に当時のプルノモ国防大臣が訪日した際に寄贈されたものですが、その際、両国の友好の証として、敢えて、国防省内にある日本風の軍服を着た像をベースに作ったのです。更に言えば、この像は、日本の防衛省の敷地内にある唯一の軍人の像なのです。
    ちなみに、この像は、現在、防衛省の見学コース「市ヶ谷台ツアー」の途中にあるそうですので、ご関心のある方は、是非訪れてみて下さい。

長い友情


    最後になりましたが、冒頭で申し上げた自衛隊記念日レセプションには、既に80歳を優に超えられた、元PETA(郷土防衛義勇軍)のメンバーお二人と、そのご家族の方々にもおいでいただきました。PETAは、第二次世界大戦中に日本軍によって創設されたものですが、それを巡っては、当然のことながら、色々な議論があります。ただ、一つ客観的事実として言えるのは、PETAの元メンバーの中には、インドネシア独立戦争で主導的な役割を果たした人がいる、ということです。

    今回、お二人からは、PETAでの経験や、日本についての思い出など、多くの貴重なお話を伺うことができました。これまでの日本とインドネシアとの関係は、必ずしも平坦なものばかりではなかったと思いますが、終戦から70年以上を過ぎた今、元PETAのメンバーの方が、自衛隊記念日出席のために遠方からわざわざおいでいただいたこと自体、二国間に今も強く存在する長い友情の証だと思いました。

    ちなみに、私の父は、第二次世界大戦終戦をスラバヤで迎え、その後無事日本に帰還しました。その父が70歳になったころ、もう一度スラバヤが見たいというので、もう30年ほど前になりますが、母と一緒にスラバヤに連れて行ったことがあります。思えば、これが私のインドネシアとの出会いの始まりでした。またインドネシアに戻ってこられたのは思えば不思議な縁ですが、私は、この縁を大事にしたいと思います。