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EKB62(その5);パレンバン、バグース!2017年7月19日 初の地方訪問;南スマトラ州インドネシアは、日本の約5倍の面積を持つ巨大な国で、それぞれ特色のある34の州に分かれています。折角駐在の機会を得たので、ジャカルタだけでなく、出来るだけ多くの地方に伺えればと思っています。 その第一弾として、7月9日〜11日まで、家内と共に、南スマトラ州を訪問しました。スマトラ「島」と言いますが、その大きさは日本の約1.5倍。世界で第6番目に大きな島で、周辺の離島を入れると10の州があります。南スマトラ州は、その中でも一番面積が大きく、9百万人程度の人口を擁します。 古くからの繋がり![]() 実は、パレンバンの郊外には、その際に戦死した日本軍兵士と、その後のインドネシア独立戦争に参加して死亡した日本人兵士を祭る慰霊碑があり、パレンバン日本人会の方々が、地元の方々の協力も得ながら、維持保全をされています。私も、空港到着から直行して、週末にも関わらずわざわざおいで頂いた日本人会の方々とご一緒にお参りをさせて頂きました。今でもご遺族の方が時々お見えになるそうです。日本とインドネシアの間には、色々な歴史の局面がありますが、両国関係者の協力で保全されているこの慰霊碑は、今も続く友情の証だと思いました。 町中に入ると、ムシ川沿岸にある、人で溢れる古くからの市場を見下ろす場所に、1962年に日本の戦後賠償で建設されたアンペラ橋の威容が見えます。建設から55年経った今も、この橋が、何の問題もなくムシ川を越える市中の交通の大動脈を支えている姿を見て、誇らしく思いました。 ![]() 明るい未来;プサントレン![]() 前回のEKB62でも紹介しましたが、日本は、2004年からインドネシア全土に広がるプサントレンの先生を毎年10名程度日本に招待する取り組みをしており、今まで日本を訪れた先生方は150名に達します。実は、今回伺ったプサントレンの塾長と副塾長は、その最初の年に日本においでいただいた方で、その時の様子を懐かしそうに話しておられました。 50周年の式典は、プサントレンの塾生に加え、運営に関わってこられた地元の方々や南スマトラ州の関係者など、1000人以上が参加した盛大なものでした。沢山の塾生が、手作りのインドネシアと日本の旗を振って、列を作って私たちの到着を歓迎し、「お早うございます。」と日本語で声をかけてくれたのには、感激しました。その顔を見ていると、皆、目がキラキラ輝いていて、本当にうれしそうで、このような若い人たちがどんどんと社会に出てくるインドネシアの未来は、とても明るいと思いました。 2018年アジア・ゲーム来年2018年は、日本とインドネシアの国交樹立60周年の年ですが、パレンバンにとっても、重要な年です。それは、4年に一回行われるスポーツの祭典である「アジア・ゲーム2018」を、ジャカルタと共催するからです。8月18日〜9月2日の16日間の開催期間に、パレンバンでは、テニス、女子サッカー、ビーチバレー、スポーツクライミングなど、全部で12種目が行われる予定です。 今回、州当局者のご厚意で、建設中の会場であるジャカバリン・スポーツシティを見学させてもらいましたが、準備は着々と進んでいます。準備といえば、今回の開催に合わせて、パレンバンの空港からジャカバリンまでを高架でつなぐLRT(次世代型の路面電車)が建設されています。空港から市中を横切り、アンペラ橋と並走し、ジャカバリンに繋がる高架橋は、来年初めの開通を目指して、着実に立ち上がっています。 パレンバン、バグース!![]() パレンバンは、海とつながる大河ムシ川の沿岸にあり、淡水魚を中心に魚が豊富です。名物は「ペンペ(Pempek)」。魚のすり身を蒸した蒲鉾そっくりの食品で、シンプルな丸形や、中に卵の入った餃子型のもの、長細い穴の開いていない竹輪のようなものなどを、スープに入れたり、ピリッとする黒酢につけたりして食べるのですが、これがいける!揚げて少し辛めのソースをかけた白身の川魚も、とても美味しい!日本人の口に合うこと請け合いです! また、現地では、パレンバン特有の、花のモチーフを散りばめ、金糸を多く使った織物風のソンケットというバティックに似た織物があります。私もつい買ってしまいましたが、インドネシアの方には、一目でパレンバン産と分かるようで、なかなか良いですよ。 パレンバン、バグース(素晴らしい)! 機会があれば、是非お出かけあれ! |