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EKB62その8;アチェに行ってみませんか!2017年9月11日 地方訪問第二弾!7月初めの南スマトラ州(パレンバン)訪問に続く地方訪問第二弾として、8月27日〜29日、アチェ州の州都バンダ・アチェに行ってきました。 アチェ州は、同じスマトラ島、そして、全インドネシアの最西端・最北端に位置する州です。ジャカルタと時差は同じですが、距離的には1800km以上、東京から宮古島までと同じくらい離れており、飛行機で3時間近くかかります。逆に、マレーシアの首都クアラルンプールまでの距離の方が750km程度と近く、飛行機でも1時間程度と聞きました。 津波の記憶と教訓![]() この地域は地震多発地帯で、今後も地震や津波が起こる可能性に向き合いながら生活していく必要があります。その際、犠牲者を最小限にするために重要なのは、過去の地震と津波の記憶と教訓を、次の世代に確実に伝えていくことだと、地元の方から聞きました。 バンダ・アチェには、素晴らしい津波博物館があります。外観は、現地では「力を合わせる」ことを象徴する、竹を編んだような模様に囲まれ、内部では、津波の高さを実感できるような順路を通り、充実した展示を見られます。更には、緊急時には避難所としても使える構造になっています。 また、地震前は海岸沿いに発電船として係留され、津波によって内陸5kmまで流された船は、今は、その場所で博物館として公開されており、多くの学生が訪れていました。 日本も、地震直後の対応への協力のみならず、記憶と教訓を次の世代に伝えていくためにも協力してきています。例えば、一番被害の大きかった沿岸地区には、日本の支援で、屋上にヘリポートを備えた避難タワーが3つ作られました。町の85ヶ所には、2004年の地震で発生した津波の高さや海岸線からの距離、津波到達時間などを記録した津波ポールが立ち、避難の必要性を目に見える形で示すようになっていますし、今年も日本の支援で、10月半ばにアチェ州の3カ所で避難訓練が行われる予定です。それから、上でご紹介した津波博物館の一室には、提携関係にある和歌山の「稲むらの火の館」の協力を得て、「稲むらの火」(注)に関わる展示などが置かれています。 同じ悩みを分かち合う![]() 今回、私は、日本に行く予定になっているこの高校生の方々とお会いする機会がありました。英語でお話ししたのですが、皆さん、サミットで行う自分たちのプレゼンテーションを英語で準備している!と、楽しそうに話し、沖縄の訪問を心から楽しみにしている様子でした。また、その場で、毎年インドネシアの各地を訪れ、地震や津波の教訓をインドネシアの人たちに教えるという素晴らしいボランティアの取り組みをしている、早稲田大学の先生と学生の方々とも合流でき、大いに勇気付けられました。 でも、協力は、やはり両方向であってこそ、このように長続きするものです。日本は、東日本大震災の時にインドネシア政府と国民の方々から頂いた物心両面の支援に対する感謝の気持ちを決して忘れません。中でも、アチェの中学校などで、学生の人たちが「日本への祈り」をささげたことは、良く知られています。“Aceh Pray for Japan; You are not alone. We love you!”に勇気づけられた日本人は多かったと思います! アチェに行ってみませんか!
つい、地震の話ばかりになってしまいましたが、実は、アチェには、他にも、色々な名産や見どころがあります。特に、アチェ州内の高地でできる Gayo Coffee は、コーヒーで有名なインドネシアの中でも、一二を争う美味しさで知られています。私も飲む機会がありましたが、苦みのきいた深い香りと味わいにはまりました。練乳を混ぜて甘くしても、アイスコーヒーにしても、力強い味が損なわれることはありません!海岸沿いだけに、シーフードを中心とした料理も素晴らしい。今回は試す機会がなかったのですが、「アチェ牛というブランド牛は最高だ!」と、州知事も太鼓判を押していました。 ![]() 道路は、予想以上に綺麗に舗装されていますし、他にも、津波にもびくともしなかった「美しすぎるモスク」などは必見です。治安についても、現地の警察署長は自信をもって保証していました。皆さん、是非、アチェに行って見て下さい!私も、是非再訪してみたいと思います。 (注;「稲むらの火」の話) 1854年に大地震・大津波が発生した際に,和歌山県の小さな村のリーダーであった濱口梧稜は、山の上にある自分の大切な稲わらに火を放ち、それを人々の避難の目印にして、多くの村民を救うことができました。その後も私財を投げうって村のよりよい復興に真剣に取り組まれました。 |