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在インドネシア日本国大使7月のハイライト(ジョコ大統領訪日ほか)令和4年7月29日
![]() バリで開催されたG20外相会合の最中に安倍元総理が銃撃され、逝去されるという衝撃的な出来事がありました。会議の場でもルトノ外相を始めとする各国の外相から弔意を表する発言がありました。大使館でも7月11日午後から14日夕刻まで弔問記帳を行いましたが、ルトノ外相、ブディ運輸相やバスキ公共事業・国民住宅相、ゴーベル国会副議長を始めとする多くの要人にご来訪いただきました。在留邦人の方々も含めて、皆様から寄せられた弔意の言葉に改めて感謝するとともに、安倍元総理のご冥福をお祈り申し上げます。 1.今月の写真 ![]() ![]() (パプア州へ公式訪問を行った際に、ビアク島の西洞窟も訪問致しました。皆さんも機会があれば是非,訪れてみてください。) 2.ジョコ大統領訪日 27日、ジョコ大統領は午前0時過ぎに日本に到着し、およそ一日弱の滞在でしたが、岸田総理との首脳会談とワーキングランチ、そして、天皇皇后両陛下との御会見が行われました。また,福田・日インドネシア協会会長や二階・日インドネシア友好議連会長との懇談も行われました。私も日本に一時帰国して首脳会談等に同席しましたが、インフラ開発への支援も含めて,様々な成果がありました。予てからの懸案であった東日本大震災以降の日本産食品に対する輸入規制についても,ジョコ大統領から全て撤廃した旨の発言がありました。ジョコ大統領のリーダーシップに感謝します。詳しくは外務省のHP(https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea2/id/page1_001243.html)を参照いただければ幸いです。 3.パプア州公式訪問 18日から21日までの日程でパプア州への公式訪問を行いました。18日は午前0時過ぎのフライトでジャカルタを出発するハードなスケジュールでしたが、遺骨収集との関係で着任以来の悲願でしたので、コロナが一段落しているこのタイミングで実現出来て良かったです。個別の行事についてはSNSで発信していますが、パプア州でも教育や保健といった分野での日本による地道な協力が評価されていることを実感出来たのは嬉しい限りでした。また、コロナの状況を見極めて再開する予定の遺骨収集事業について、お目にかかった州や県の政府関係者にお願いし、皆さんから今後の協力を約束する旨の反応がありました。 4.日系企業との係わり 日系企業の活動が引き続き活発になってきており、私も以下のような行事に出席させていただきました。それ以外にも色々とお声かけいただいたのですが、出張などとの兼ね合いで失礼しました。今後ともお声がけいただいた場合には積極的に参加したいと考えていますので、宜しくお願いします。 13日 カラワンにあるグリコ・マニュファクチャリング・インドネシアの新工場の開所式に参加しました。日本で古くから親しまれているお菓子がインドネシアの工場で生産されることは、日本とインドネシアの経済関係が将来にわたって強いものであることを、改めて示していると思います。 16日、日本航空のジャカルタ・東京線就航60周年セレモニーに参加して、ご挨拶しました。日本とインドネシアとの外交関係が樹立した1958年のわずか数年後から、また、最近ではコロナ禍にも拘わらず、両国間で多くの人々を安全に運び続けていただいたことに改めて感謝します。 17日、ラグナン動物園で開催されたスポゴミ in インドネシア(ジャカルタ大会)のイベントに出席し、ご挨拶しました。イオンディライト・インドネシアと丸紅インドネシアの主催で、環境林業省、ジャカルタ首都特別州が協力、当館が後援しました。官民が連携して、日本のゴミ拾いの文化をインドネシア社会に対して紹介するという意味で、新しい取組であり、非常に有意義なイベントでした。 5.各種表彰式の実施 先月に引き続き、以下のような方々に対する在外公館長表彰の表彰式を行いました。皆さん、長年にわたる地道な活動を通じて、日本とインドネシアとの関係を下支えしていただきました。功績の詳細は大使館のHP(https://www.id.emb-japan.go.jp/news22_18j.html)を御覧ください。 15日 酒井冨久子氏 (スマラン事件の慰霊碑の建立と維持管理に尽力いただいています。) 20日 故メキ・カピタウラ氏 ユスフ・ルマロペン氏 後藤眞作氏 (パプア州ビアクにおける日本政府による遺骨収集事業に協力いただくと共に、慰霊碑の維持管理に貢献いただいています。) 22日 小林イツヨ氏(チカラン日本人会会長) 吉田稔氏(「ジャカルタ歩く会」を主宰) (いずれも、長年インドネシアに在住し、日本人社会とインドネシアとの架け橋として活動されています。) (了)
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