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2010年11月2日
平成22年秋の叙勲
平成22年11月3日、日本政府は、平成22年秋の叙勲に際し、日本・インドネシア関係の増進に寄与した功績を称え、以下のインドネシア人2名に対して、勲章を授与することを発表しました。
インドネシア人受章者
1. ウィディヤント(瑞宝双光章) |
(生年月日) | 昭和25年1月14日 |
(主要経歴) | 在インドネシア日本国大使館職員 |
(功労概要) | 日本国在外公館活動に寄与 |
(対日功績) | (1)邦人保護等の領事業務への貢献
同人は,領事業務全般において効率的かつ献身的に努め,インドネシア人のみならず,在留邦人からの相談にもきめ細かく対応してきた。また,同職員は邦人保護にも精力的に従事することを通じ,現地入国管理局や警察当局等に広範な人脈を形成し,今日に至る同館と現地政府当局間の友好関係の礎を構築した。特記すべき事項として,平成10年,スハルト大統領(当時)を辞任に追い込んだジャカルタでの暴動の際の邦人退避オペレーションへの貢献があげられる。
(2)要人訪問業務への貢献
インドネシアは,東南アジア随一の原油生産を誇り,上述のとおり日本とのつながりが非常に密である。これを反映して政府要人を始め官民の要人往来が一年を通して頻繁に行われている。同人の功績として特筆すべきは,昭和56年1月の鈴木善幸総理(当時)がインドネシアを公式訪問した際の受け入れ対応である。同人は,採用3年目と若手でありながら,総理の宿舎であった大統領宮殿との調整を担当し,総理一行の円滑な現地滞在に多大な貢献をした。こうした経験をいかしつつ,その後も我が国からの要人来訪の際には,受け入れの後方支援担当として一行の円滑な滞在に尽力してきた。
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2. アンダ・グナワン(瑞宝単光章) |
(生年月日) | 昭和24年12月28日 |
(主要経歴) | 在インドネシア日本国大使館職員 |
(功労概要) | 日本国在外公館活動に寄与 |
(対日功績) | (1)情報文化班員としての貢献
同人は、大使館に正式採用された昭和47年頃には情報文化班員として、主に日
本の文化等をインドネシアの人々に紹介するための広報活動に従事した。
当時はテレビも全く普及しておらず、DVDの様な広報媒体もなかったため、日本を紹介し理解を得るための方法として日本大使館(情報文化班)主催による「屋外映画上映会」がジャワ島各地の町で開催されていた。
同人はこの「屋外映画上映会」の担当として、当時は道路事情も悪く日本人スタッフだけでは行き着くことも難しい地方都市まで同行した上、熱心に街頭での事前広報を行い、同上映会を成功に導き、インドネシアにおける日本理解を深めることに大いに貢献した。
(2)「ジャカルタ事件」の際の貢献
昭和61年5月に日本赤軍が,在インドネシア米国大使館及び日本国大使館に向けてロケット弾を発射したいわゆる「ジャカルタ事件」が発生した。同人は,同事件の際,日本大使館内の初動対応要員として活躍している。当時,同人は警備班員ではなく、情報文化班員であったが、同事件の発生直後に,警備担当の職員らとともに、ロケット弾が落下した同館駐車場の現場に急行し、持ち前の積極性をいかして、現場の確認,写真撮影、記録等に従事し、円滑な事後処理に大いに貢献した。
(3)警備班員としての貢献
同人は,退職までの約3年間、警備班員として勤務した。同人は,平素,非常に柔和な表情を見せているが,来館者に対する手荷物検査等に際しては、鋭敏な注意力を発揮し、「不審なもの」を認めた場合などには、タイミング良く、相手に対し中身の確認を求めるなど、その前向きな勤務態度は高い評価を得ていた。安心して警備を任せられる職員として、警備班には欠くことのできない人材であった。
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